スッキリ
31日まで働く友人や年末年始も休みなく営業するお店を見ていて、何となく感じていた違和感というかモヤモヤ感のようなものが茂木健一郎 (kenichiromogi)さんのTwitterでお馴染みの連続ツイートでスッキリした。
連続ツイート第1128回をお届けします。文章は、その場で即興で書いています。本日は、今朝なんとなく思ったこと。
posted at 08:14:23すと(1)そろそろ、年末である。子どもの頃、私は、年末から年始にかけて、さまざまな「所作」を行っていた。「今年の十大ニュース!」とか言って一年をふり返ったり、新年には、「今年の抱負!」みたいな感じで、重々しく、一年間の目標を立てていたりした。
posted at 08:16:04すと(2)それが、ある時期からあまりやらなくなった。「今年の十大ニュース」みたいなものは、自分自身に対しても、世の中全般に対しても興味がなくなった。さらに、新年の誓い、みたいなものは全くやらず、ただ、「あっ、新年になったか」みたいな感じでその瞬間を迎えるのが近年。
posted at 08:17:09すと(3)なぜこういう堕落が生じたかと言えば、まず、「今年の十大ニュース!」みたいなものが、区切りとして、「年」でやるのがあくまでも便宜的で意味がない、と思うようになったことが大きい。地球が太陽の周りを公転しているのは良いとして、年の区切り自体は、どこでも言いわけでしょう。
posted at 08:18:41すと(4)続いて、「新年の誓い」について言えば、どうせそんなものを立てたって、守りもしないし、参照しないし、そもそも思い出しもしない、ということが経験上明らかになったから。桜が咲く頃にはすっかり忘れてしまって、普通の時間の流れの中にいるから、意味がまったくない。
posted at 08:19:53すと(5)どうも、年末から年始にかけて一年をふりかえり、新年の誓いを立てる、みたいなのは、『天空の城ラピュタ』で言えば、「バルス!」のような一瞬の盛り上がりに過ぎず、その時の厳かで神聖なるクオリアを味わうにはいいけれども、それ以上の意味はないと考えるに至ったわけである。
posted at 08:21:09すと(6)逆に言えば、神聖でヒンヤリとして厳かな気分を味わうためには、除夜の鐘を聞きながら一年をふりかえり、次の年への誓いを新たにする、みたいなことをしてもいいかもしれないけれども、それはその瞬間だけの一時の楽しみで、それ以上の意味はない、と悟るべきなのではないか。
posted at 08:22:18すと(7)というわけで、新年の誓いについては、すっかり「悟り世代」になってしまった私だが、どんな感じで生きているのかといえば、カッコイイ言い方になってしまうけれども、「全ての瞬間が、特別」ということかもしれぬ。新たな誓いを立てるんなら、一年中、これぞという時に立てればいいでしょ。
posted at 08:23:53すと(8)誓いを立てるのに、わざわざ一年に一回しかやってこない「年」という人工的な区切りを待つのは、恣意的というか、気分屋なわけで、それくらいなら「はっ!」と気づいた瞬間に、ありったけの勢いを込めて、誓いを立てて時代を更新してしまった方が、よほどいいと私は思う。
posted at 08:25:08すと(9)とりわけ、ドッグイヤーとかマウスイヤーとか言われる現代においては、「年」という区切りははっきりいってたるいわけで、人生という二度と戻って来ない時間を充実させるためにも、「年」なんていう固定観念に囚われず、とっとと自分時代を画していったほうが、きっといいと思うぞ。
posted at 08:27:02以上、連続ツイート第1128回「全ての瞬間が、特別」でした。
posted at 08:27:37
コメント