指導と怒るの境界線

指導者の発した言葉を

指導と感じるのか
怒られたと感じるのか

指導と怒るの境界線をどこに置くか。。

益子さんは、子どもたち一人ひとりに「監督が怒ったら知らせるんだよ」と声をかける。

バレーボールを始めた中学時代のことだ。「怒られてばかりで、毎日のようにぶたれていた。怒られないことだけを考えて、言われた通りのプレーだけをした。トスが来なければ怒られない、試合に出なければぶたれない、とも思っていた」。有望選手として選抜され、強化合宿に参加するようになると、他チームの指導者にほめられた。上手にできるからと、見本のプレーをさせられることもあった。うれしさと驚きを感じたが、「自分はダメな選手だと思い込んでいた」。ほめる大人を信じられなくなっていた。


スポーツを楽しむ

から

スポーツで結果を出す(記録や勝ちにこだわる)

まで、スポーツの目的、活動の幅は広い。

結果を出すためには、ある程度の厳しさは必要になると思う。
その厳しさの程度を個々の選手の性格にあわせて、どのようにコントロールするか?!

指導が、怒るであったり最近、話題のパワハラになったり、、、
ただ、選手(当事者)が指導と感じているなら、周囲が怒っている、パワハラと大騒ぎしなくてもいいのかな、と。

何でもそうだけど、自ら望んで取り組んでいる時とやらされている時では表情が明らかに違うし、集中力や動きも違う。
そうした一つ一つを観ることができれば、間違った方向には進まないと思う。。



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